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能登半島地震から3ヶ月、ボランティア活動レポート

『コトニ弁護士カフェ』2024年4月26日放送分

2024年1月1日に発生した“能登半島地震”,まだまだ記憶に新しい出来事ではないでしょうか。
先日,私は能登半島地震の被災地でボランティア活動に参加してきました。
これまでも,東日本大震災や熊本地震など,地震後のボランティアに参加してきましたが,今回は能登半島地震のボランティア活動で体験してきたことをお話しします。

志賀町と七尾市、2日間のボランティア活動へ

私がボランティアに参加したのは2024年3月17日と18日の2日間でした。
私自身,東日本大震災で友人の漁師さんがいる町が津波で壊滅したり,熊本地震で実家が被災したり,私自身が直接被災はしていないものの,大きな地震は他人事ではありませんでした。
そのような背景から,どちらの震災後もボランティア活動に参加しました。
特に,東日本大震災では,津波の影響もあり被害が甚大でしたので,震災後数年間度々ボランティアに参加しました。

今回も,水産業が盛んな石川県の能登にできるだけ早く支援に行きたいと考え,震災直後は支援物資を送ったり募金をしたりしていました。

しかし,どうしても現地に足を運んで支援したいという強い想いがあり,今回ボランティアに参加することにしました。

訪れた地域は,能登藩との西側にある志賀町と能登半島の東側の七尾市です。

石川県では,道路の破損や受け入れ施設の状態により,私が参加した令和6年3月18日時点では基本的にはバスツアー形式でボランティア活動が行われていましたが,現在では現地の状況に応じてバスツアー形式と現地参加形式の双方で行われているようです。

志賀町や七尾市などの近場は早朝から金沢を出発し,1日ボランティア活動をしてから夕方に現地から金沢に戻りました。

能登半島の先端の場所に位置する輪島や珠洲には昼頃に到着し,1泊して次の日のお昼に現地を出発するといったスケジュールでした。
ボランティアの受け入れ方法は,事前登録をした人にメールで連絡が入り,応募をする形となっています。
奥能登,輪島などでは宿泊型もあるようです。
詳しくはホームページなどの情報をご確認ください。

令和6年(2024年)能登半島地震に係る石川県災害ボランティア情報

当初は被害が大きかった輪島や珠洲市などに向かうことを希望していましたが,令和6年3月当時はこれらの被害が大きかった場所はボランティアの受け入れ人数が制限されていることに加え,ボランティアからの人気も高く,登録受付が開始されると5分ほどで埋まってしまうほどでした。

また,輪島や珠洲市に向かうのであれば,1泊しても事実上1日は移動時間になってしまうということもあり(2日間のうち作業は1日間),今回は金沢から近場の志賀町と七尾市に行くことにしました。

1日目:志賀町でのボランティア活動

志賀町は能登半島の西側に位置し,原発があることで知られている町です。
今回の地震では,原発に影響はありませんでした。

バスで道を走っていると,時折,瓦が崩れ落ちた家を見かけましたが,津波が来なかったことも幸いしたのか,私が想像していたよりも大きな被害は少ないように最初は見えました。

ところが,だんだんと町の北側に近づいていくと,多くの道でひび割れが入っていました。

私達がボランティア作業をした志賀町北部にある富来町では,道路の塀も倒れたり,家自体が倒壊していたりするところも少なくありませんでした。

家屋の外見上は壊れていなくても,揺れが激しかったためか,家の中ではタンスや食器などが散乱してしまい,結局すべて瓦礫として片付けなければならない状況でした。

私の担当は,そういった家屋の塀の撤去と瓦礫処理でした。
家の周りの倒れた塀を撤去し,家の中の散乱した食器などの瓦礫を軽トラックに積み込み,瓦礫集積場になっていた町内の野球場まで運び込むという作業を,朝から夕方まで行いました。

当日のボランティアは総勢20名ほどでしたが,いくつかのグループに分かれて活動し,それぞれの場所でしっかりと活動されていたようでした。

2日目:七尾市でのボランティア活動

七尾市での活動は,もっと作業が分担化されていました。
あらかじめボランティアセンターで被災者の方々からボランティアの希望を受け付けたあと,撤去を希望する物を写真に撮って事前に把握しておきます。

その後,ボランティアセンターで日程等を調整した後に,担当のボランティアチームがそこに行き,事前に指定されたものを家の中から運び出し,瓦礫集積場に運んでいくという作業でした。
私は大きなトラックを運転できるので,2トントラックの運転と瓦礫の運搬を担当しました。
私のチームが任されていた4つの家を訪問し,チームのみんなで家の中から不要になったタンスや瓦礫などを運び出して,それをトラックに載せて運び出しました。

七尾市は「市」というだけあって都会で,近くに有名な和倉温泉という温泉街もあるところです。
しかし,2024年3月18日当時,その和倉温泉もまだ店舗や旅館を再開できない状況でした。
七尾市も津波が来なかったのが幸いし,見かけは家が壊れているところは少なかったのですが,発生時から3ヶ月と半月が経ってもまだ水が届いていない地区が多く,大変な状況でした。

全国各地から集まるボランティアメンバー

実際に被災地でボランティア活動に従事すると、同じくボランティアにきている皆さんと話す機会があります。全国からたくさんのボランティアの方が駆けつけていることに,とても感動しました。

特に今回の被災地では,能登半島への利便性が良い近畿地方の方が多かったように感じました。
ボランティア参加者の方には金沢までの高速道路が無料となることも要因かもしれません。

災害ボランティア車両の高速道路の無料措置について

各ボランティアセンターには全国の社会福祉協議会から人が派遣されていて,札幌の社会福祉協議会の方もいらっしゃいました。
東日本大震災の被災地である陸前高田市の方もいて,被災した経験をもとに復興活動に尽力されていました。

いまだ復旧しないインフラと,過去の地震からの教訓も

今回の災害では,地震発生時の警報では地域によっては5mもの大津波が襲来するとの警報もありました。
地盤の隆起も1つの要因とは言われていますが,津波が想定より小さかったことが本当に幸いでした。

東日本大震災では地震そのものの被害も大きかったのですが,沿岸地域の多くの被害が津波によるものでした。

一方で,水や電気などのインフラがなかなか復旧しない状況が問題になっています。
また,熊本地震でもそうでしたが,家の中でタンスや食器棚が倒れてしまい,家の中が使えない,住めない状態になってしまっている方が多いと聞きました。

ボランティアセンターは,東日本大震災や熊本地震での教訓を受け,インターネットで受け入れ管理をしたり,むやみに被災者の自宅内部の写真を撮ったりしないなどのプライバシーへの配慮もされていました。

また,七尾市では各ボランティアに専用のスマートフォンが手渡されてトランシーバーのようにいつでも連絡をとれるようにしたり,GPSで現在どこにいるのか管理されたり,以前よりもボランティア活動がスムーズに行われる工夫がされていました。

被災者からの感謝の声と悲痛な声

今回私達がボランティアに伺うことで,感謝の声をたくさんいただいたことが心に残っています。
東北や熊本でも同様でしたが,高齢者のお宅が多く,誰かの力を借りないと復興できない状況でした。

また,石川県の漁協にも訪問させていただき被害の状況を伺いましたが,漁師さん達によると,船は壊れていないのに海が隆起して港が使用できなくなり、漁にいけないという状況だと聞きました。
能登半島ではまだまだ復興が十分に進んでいない状況と言えますので、また機会を見てボランティアに行きたいと考えています。

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